元々は九州のみで知られていた青汁
青汁といえば代表的な健康食品のひとつとして、今や全国的に販売されている人気のある食品です。味や種類も様々なものがあり、お子さんからお年寄りまで幅広い層に飲まれています。
そんな青汁ですが、元々は九州のみで知られていた飲み物でした。
今回はあまり知られていない青汁の歴史についてお伝えします。
青汁の歴史を知り、より深く青汁について理解してゆきましょう。
九州地方特有の健康飲料だった青汁
日本には全国にその地方特有の健康食品があります。例えば東北地方では栄養価が高い枝豆を調理した「ずんだ」や、沖縄ではミネラルが含まれる黒糖を摂り入れた料理が多数あります。
そして九州では青汁が古くから健康に良い飲み物として広く飲まれていました。
特に1980年代に入ると、九州を拠点として菓子の製造販売をしていたメーカーが自社製品として青汁の販売を開始して以来、九州の人々の間でますます青汁が普及しました。
テレビCMの宣伝効果で一気に全国的に認知された青汁
九州でのみ知られていた青汁が全国的に有名になったきっかけは、青汁のテレビCMが全国ネットで放映されたことがきっかけです。「マズい~!もう一杯!」というユニークで強烈なキャッチフレーズで全国の人々の関心を引き、青汁は一気に全国的に広まります。
因みにこの時の青汁の販売法は通信販売でした。
九州の青汁を電話で注文を受け全国に配送していたのです。
通信販売による青汁の販売は、現在でも多くの青汁メーカーが採用している販売方法です。
最初は罰ゲームの飲み物としてのイメージが先行する
全国的に有名になった当初の青汁は、ケール100%のものでした。液体タイプの青汁で、CMでの宣伝文句通りに多くの人にとってまずく感じる苦みが強く独特のにおいやクセのある飲み物でした。
そのためあるTV局が番組内での罰ゲームとして青汁を採用、ますます青汁=マズい、というイメージが定着してゆきます。
実際にこの頃の青汁は今の飲みやすくなった青汁よりも苦みやにおいが強いものだったようです。
実際の青汁の健康効果が認められて売り上げが上昇
一般的にはマズイ飲み物は売れないという感覚がありますが、青汁は飲んだ人が実際に体質改善や健康維持の実感を得ることができる飲み物です。そのため青汁の健康効果が世に認められて売り上げは上昇、年々青汁の生産量は増えることになりました。
その後、複数のメーカーより様々な種類の青汁が販売され現在に至ります。
様々な種類のある現在の青汁
現在販売されている青汁には様々な種類の青汁があります。当初はケールのみが原料でしたが、現在では他にも色々な原料が使用された青汁があります。
代表的な青汁の原料には、大麦若葉や明日葉、桑の葉やクマザサ、ゴーヤなどがあり、それぞれ味や多く含まれる栄養素に違いがあります。
様々な種類があるため、より消費者のニーズに合わせて選びやすくなっています。
もちろん九州で飲まれていた昔ながらの青汁も健在で、未だに根強いファンがいます。
青汁のタイプも色々
原料の違いだけではなく、青汁のタイプにも色々なものができました。昔からある液体タイプを始め、粉末状の青汁を水や牛乳などに溶かして飲む液体タイプ、新鮮な青汁を冷凍にした冷凍タイプの青汁、そして携帯に便利な錠剤タイプの青汁があります。
最近ではゼリーのような食べる青汁も販売されています。
現在も九州は青汁の製造が盛んに行われている
青汁が全国に先駆けて広まった九州では、今でも青汁の製造が盛んです。九州は元々年間を通じて降水量が多く、土壌も野菜の栽培に適した肥沃な土壌です。
そのため良質な青汁の原料が育ちやすく、青汁の製造に適しているのです。
九州から全国に広まった青汁は、現在でも九州によって支えられているのです。
もうひとつの青汁の源流
実は青汁にはもうひとつの源流があります。それは中国地方、岡山県です。
この岡山県出身の博士に、遠藤仁郎さんという方がいます。
遠藤博士は独自に青汁を研究、自ら青汁を飲む健康法を実践され97歳まで生きられました。
ご自身で始めた青汁を「遠藤青汁」と命名しその普及をされました。
遠藤博士の周りでは戦後の食糧難の際の栄養補給源として遠藤青汁に多くの人々が救われたといいます。
遠藤青汁は学校給食でも採用され、当時の子供たちの健康維持にも貢献しました。
遠藤博士の周りの人々の間では、遠藤青汁が初めて飲む青汁になりました。
この岡山県の遠藤青汁が、もうひとつの青汁の源流です。
因みにこの遠藤青汁も原料はケールです。
多くの人が実感する青汁の効果
九州から広まった青汁も、遠藤博士が普及された青汁も、実際に飲んだ人が効果を実感したために広まりました。いくら宣伝をしても、本当に効果のないものは広まらないでしょう。
今後も青汁は、多くの人の健康に大きな効果を上げる飲み物として広まることでしょう。