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「青汁」の名前の由来

青汁が世間に広く知られるようになり、多くの方が青汁を飲むようになりました。
健康食品として有名になった青汁ですが、そもそもなぜ「青汁」という名前が付いているのでしょうか?今回は青汁の名前の由来について調べてみました。
青汁についてより理解を深めてゆきましょう。

「青汁」の名前の歴史

「青汁」の名前の由来を調べてゆくと、戦後すぐの1943年まで溯ります。
この頃、日本は戦争中で食糧難から深刻な栄養不足に陥っていました。
そこでその食糧難を解決すべく、青汁の創始者といわれる遠藤仁朗博士が青汁を作り、普及し始めます。
色々な野菜を研究して最終的にたどり着いた野菜がケールでした。
今でもケールは青汁の代表的な原料のひとつです。
このように青汁を作り、普及させていった遠藤仁朗博士によって、「青汁」という名前が付けられました。

なぜ緑ではなくて青なの?

青汁はケールなど緑黄色野菜から作られるために緑色をしています。
なぜ緑茶のように「緑」という字を使わずに「青」という字を使うのでしょうか?そこには古代日本語の色表現の名残が反映されています。
奈良時代頃には日本語で色を表す言葉は、「白」「黒」「赤」「青」しか存在しませんでした。
そのため、緑色はこれらの色の中で一番近い色である青に分類されていたのです。
その当時の言葉使いの名残が近代でも残っていて、緑色の汁である青汁は「緑=青」ということで「青汁」と呼ばれるようになったのです。
この緑色のものを青と呼ぶ日本語独特の表現は、青汁以外にも使われています。
緑色の野菜を「青野菜」緑の信号を「青信号」など、現代でも意外とありふれた表現でもあるのです。
そのため「青汁」も自然な流れで‘’青い汁‘’と表現されたのです。

戦後の日本人の栄養不足を救った青汁

遠藤博士による青汁誕生以前にも、日本では昔から野菜や薬草をすり潰して汁状にして服用したり、湿疹などの患部に塗り治療をする療法が存在していました。
薬効や栄養がある植物の汁を活用することは、日本人にとって馴染み深いものだといえるのです。
そして遠藤博士によって青汁と命名された青汁は、博士やその支援者の熱意と努力で次第に普及していきます。
終戦後、当初は一部の病院給食や小学校の給食で飲む機会が与えられ、当時の栄養不足の解消に多大な貢献をします。

広まり続ける青汁

最初は九州地区で普及していた青汁も、メーカーの製品化によりCMがテレビで流されると、一気に全国的に普及します。
その際、「青汁」という名前も同時に全国的に知れ渡ることとなるのです。
今では青汁は誰でも知る知名度の高い健康食品となりました。
青汁の創始者である遠藤博士は自身も青汁を飲み健康を維持し続け、97歳まで生きられました。
青汁の健康効果は、青汁という名前と共にこれからも広まり続けることでしょう。

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